『WELCOME TROUBLE』
 コンビニの控室。劇団員の津村君は急に公演が決まったとかで、店長代理の拓弥にシフトの組み替えを頼みに来た。演劇がどうやって作られるのかわからない拓弥は、なんでこんなに急に公演が決まるのか、と問いつめる。脚本ができて、キャストが決まって、それで劇場を予約して・・こういった一般の人が考える演劇の作り方と、実際に演劇が作られる現場はこんなにもちがうのか?

 映画には「映画を作るという映画」があります。演劇にも「演劇を作る過程の演劇」というものがあっていいのではと思っています。けれども、それが演劇を作る現場の苦悩ではなく、演劇を作るにあたって派生する物語であって欲しいと思うのです。というのはものづくりの現場はどんなものを作っているにしても、とてもエモーショナルなもので、奇跡が起きやすいんです。また、そこで奇跡が起きてもあまり不思議に思わないんですね。むしろそれを歓迎したりする。物語の中で都合良く奇跡が起きるとそれは『ご都合主義』と呼ばれますが、ものづくりの現場においては、たとえどのようなことが起きてもあまり『ご都合主義』には見えないんです。となると、結局なにをやってもよくなってしまって、お話を作る人間の技の見せ所がなくなってしまうし、ついつい自分もまた、その『ご都合主義』に頼り、駆使してしまいがちです。だから現場からできるだけ離れたいんです。現場から離れてもなお、演劇についての話が作れたらいいなと思うわけです。そして、それは演劇をやっている故に発生する物語であって欲しいのです。この話は突如、演劇の公演に出なければならなくなり、バイトのシフトを変えてくれというところからスタートしますが、稽古場で雑談している時などによく聞く話です。前にも書きましたが、演劇をやっている連中は生活をほとんどバイトで支えています。しかも、公演があるとなると、その前後2週間は昼夜稽古、ならびに本番があるために休まなければなりません。本人達はその2週間、休んでいるわけではなく、むしろバイトしているよりも過酷な生活をしているのですが、バイト先にしてみれば、年に2回、3回、もっと「演劇している人」だと4回とか5回とか、2週間まるごと休まれたりするのです。まるでヨーロッパの人がバカンスをとるような生活サイクルです。そんなフリーターがバイト先で歓迎されるわけはありません。みんな公演の度に辞めたり、公演が終わったらその埋め合わせのために、以前に増して必死に働いたりと様々な努力をしなければなりません。そういったことを全部舞台にのせて、それをお涙頂戴ではなく、エンターティメントとして成立させてみたいんです。